朝書いた、本、慢性痛に関して書いてる本を読んでたら、
期せずして、パニック障害という言葉が出てきた。
オレは、パニック障害になり、
行動療法で、半分克服した。
その過程で、
大丈夫じゃん、と、脳や身体が、認知する、あるいは、学習することにより、
それまでできなかったことが、出来るようになった。
が、残り半分は、
わかってもらえない、という気持ちが、残っている割合だけ、
オレの場合、暴力的な場面、
大音量、興奮した場面
足が宙に浮く、ロープウェイ
野球、ライブ観戦など、が、だめ。
でも、半分は、出来るようになった。
それでも、その代わりに、腰が痛い、脚が痛い、という
精神面で、言い訳できないパーセントを、
身体の痛み、に、置き換えてしまっている。
ある本に、
痛くなくなると、不都合、つまり、周りから、可愛そう、と思ってもらえないから
慢性痛が治らない、という趣旨の
内容がある。
これは、正しくもあり、間違っている。
理由がどうであれ、
身体のいろんな部分が痛いのは事実で
それを、かまってもらいたいから、と一同両断に切ってしまうのは、
行きすぎ。
そう言い切ってしまうと
あ、そうなのか、と、自分で自分を責めてしまう。
つまり、学習付けされてしまったものは、
症状としてあるのは、誰が何と言おうが、ある。
問題は、
それを踏まえた上で、
オレ自身が、次のステップを、どう踏むかだ。
まだ、五里霧中。